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今年のテーマ、「貢ぐ」。

「うつくしいものへ貢ぐこと」。

これを、今年のテーマにしました。

 

うつくしいものを、見る、観る、味わう、聞く、読む、つかう、さわる、身につける、塗る、撮る、追っかける、書く。

 

この目標をもっただけでも、少し元気に生きていけそうな気がする。

 

学生という肩書きを返した、今。

なにごともいままで以上に、自分で選んでつかみにいかなくちゃいけない環境に出てきてしまった。

だからこの基準をもって、今年は行動することにした。

うつくしいものへ貢ぐ。

それは、お金を高額出すとかっていう話じゃなく。

うつくしいものを追いかける、という表現のほうがしっくりくるかな。でも、貢ぐっていう言葉をつかいたい。

 

わたしは小心者の人見知りだから、ついついビビって踏み込めないことがある。

そういうのを少しでも減らしていきたい。

「これはまだ私には早いな……」という言い訳がましい理由はスルーして、思わずさわってしまおう。昨年よりも一つでも多く、うつくしいものに出合って貢げれば、と思う。

 

最近だと、文句いいつつもウン万円払って借りた袴を着たときと、腰がきゅっと細く見えるラインでつくられた真っ黒のワンピースを着たときに、「あー!これはうつくしいものに貢いだなー」と感じた。ファッションにこだわる人々の気持ちにけっこう共感した。普段ここまでがっつり着飾ることってないから。エンタメ性を味わってしまった……。

みんなもそれぞれに、自分の魅力をぐいぐいっと前面に押し出されるような服を着ていて、かわいい、かわいい、と思った(繰り返してしまう)。

 

テーマを実現するためには資金もつくらなくちゃですな。

がんばろーう。

大森靖子は小説家ではないけれど

朝から泣いてしまいそうになった。

 

本日、発売された大森靖子のニューアルバム『kitixxxgaia』に収録されている

《夢幻クライマックス かもめ教室編》

という一曲。

 

もともとは《夢幻クライマックス》という、°C-uteに提供された楽曲なんだけど、

℃-ute『夢幻クライマックス』(℃-ute[Dreamlike Climax])(Promotion Edit) - YouTube

自身のアルバムに収録する際に、曲のアレンジはピアノのみに変更され、歌詞も書きかえられているようで。

 

この曲の歌詞を見て、物語を描く上で重要なものは「長さ」ではないんだな……と思ってしまった。

これは短い短い小説だ、と。

 

夢幻クライマックス かもめ教室編 大森靖子 歌詞情報 - 歌ネットモバイル

↑こちら歌詞。

 

少しだけ聴けます。iTunesだともう少し長めに聴けるのでぜひ。(リンクからは飛べません)

 

 ※以下、めちゃくちゃ個人的見解です。

 

曲の中の登場人物は、ピアノを習っている男の子。そして、その男の子と同じピアノ教室で、一つ前の時間帯にレッスンを受けている女の子。

 

歌詞は、最初から最後まで男の子の視点で語られるのだけど、曲のはじまりから鋭さに震えてしまう。

 

あの子 この教室のピアノじゃつまらない

この街の優しさじゃ 弾けない曲があるの

この彼の思考、めちゃくちゃ芸術家じゃないですか……。きっと、「あの子」は技術的に弾けないわけじゃない。たとえば、悲哀や残酷さ、みたいなもの。あの子が住む「平凡で普通の優しい街」という環境では表現できない、「弾けない曲」がある。

と、勝手に解釈して鼻血が出そうになりました。

 

で、おそらくあの子は何らかの理由で教室から去ってしまう。

それでも彼はいつも通りに日常を刻む。

でも、どこかに秘めていた感情が徐々に剥き出してくる。

まどろみ越し僕はいつも以上に

いつも通りいつもを続けるだろう

盗んだ制服 あの子を纏って

come on かもめ教室

さらに「僕」の勢いはどんどん増していく。

ソナタをカゴに投げ 坂道こぐ午後5時

先生 僕はもっとマシな僕になりたい

 

明日起きて僕は いつも通りの

チャリをまたぎ だけど 何度も挑む

あの子になりたい ピアノに溶けたい

come on かもめ教室

 

一行、一行の連なりに胸がしめつけられる。

「先生 僕はもっとマシな僕になりたい」、の一節、そして、「あの子になりたい ピアノに溶けたい」。もう、たまらん。あかん。

 

「僕」は、「あの子」への才能に対しての憧れなのか、恋なのかわからない激しい感情と、

自身の「音楽」への思い入れや熱っぽさに反して、なぜだかマシになれない自分の存在に、

つよく掻き乱され、それらの感情のあいまで揺れているのだろう。

盗んだ制服を纏っている描写は、あの芸人さんの一件を思い起こしてなんとも胸が痛くなる。

 

旋律は深く深く

インサイドラブ

 僕のターンさ

音楽になれたら消えてしまうかしら

 

寂しい

 

この頃は久しく小説を読んでいないんだけれど、読書体験で得られる胸が熱くなる感覚を、この音楽で味わった。

歌詞のことばっかり書いてるけど、音質というか、ピアノ単独のアレンジが美しく素晴らしいんですよ……。

 

桐島、部活やめるってよ』で知られる小説家・朝井リョウ氏は、「彼女が小説家でなくてよかった」と、大森靖子が『絶対少女』をリリースした際にコメントを寄せている。

「私は【大森靖子】を三人組だと思っている。優れた小説家と、優れた音楽家と、優れたパフォーマーが奇跡的に集まってやっと構成されるべき才能だと思っている。

(中略)

私は彼女の音楽を小説を読むように聴いている。新作「絶対少女」の中にも、とっておきの一行がごわごわと蠢いている。

(中略)

彼女が小説家でなくてよかったと、このアルバムを聴いて、改めて思った。

セカンドアルバム 絶対少女 | 大森靖子公式ページ

このコメントに首が痛くなるほどうなずける。

歌詞はもちろん、大森さんのブログもすっごく好き。 言語感覚が輝いている…。

 

実は金欠でまだアルバムは買えていないんだけどね!

きっと最高だから買おう!買います!

GOHAN

頭を使ったあとに、食べる事で取り戻そうとするやつ、なんなんでしょうね? しかも高カロリーなものを食べたくなる。これが進化(悪化?)すると、やけ食いってやつになるのか。

 

面接帰りのある日、外食なんてしなくてもいいのに、あがり症が発動しまくったせいか、この日ばかりは自分から進んでお店探しを始めました。

なんせ普段の食事がヘルシーすぎるので。

「外の食を食ってやるぞ!!」と! 「えげつなくハイカロリーなやつを!」と意気込んでいましたが、結局はスープのお店でほっこりと済ます夜。おかしいな?

 

普段の食事の件ですが、家の人が身体のために糖質制限しているので、家族全員で「ささみ、サラダ、味噌汁、玄米」といった読者モデルのような飯を食っています。

パパが特にすごくて、ストイックに制限しているのでめちゃくちゃ痩せてきた。あごの肉が消滅し、顔が小さくなり、お腹周りもキュッとした。明らかにかっこよくなってる。どうしようモテたら(ない)。

 

残念なことにわたしは特に変わらず。というか、ここのところいろいろ考えすぎた&ホルモンバランスが良くない?のか、ビジュアル面はちょっと……な具合。やばい!NEED 美しさ……。月末までにはがんばろう。痩せてかっこよくなりたいよ!!!!!

 

近況でいうと、わたしの中でインスタブーム到来寸前。完全に出遅れすぎている。しかも、いいね、全然つかない。センスが足りない。まず#を使うセンスがゼロ。急に中年のような気分を味わう。やっぱりヤングマン達はすごいよ、使い倒している成果がバリバリに出ている……。目指せ俺インスタグラマー

アンテナ

ときどき感受性が鈍ってるんじゃないかって不安になる。

今まではまだ自分が子どもの位置にいたから、鈍いも何も、目の前にくる新しいものを全て受け止めてきた感覚があった。 

でも今はいろんなことが「流行って」から、自分のところに回ってくることが多くなった。めっちゃ遅いときもある。極端な例だけど、PPAPなんて、ずっと気付かずにスルーしてて、テレビで初めて知ったし。もう散々騒がれた後だったんだろうね。

 

だから、新しいものを追いかけ続けられるご年配の方は、ほんっとうにものすごい熱量のエネルギーをもっておられるんだと思う。自分の時代に囚われないっていうのは、かなり大変なことだ。かっこいい、としか言えない……。

 

そういったこともあって、少しでもピンとくるものに出合ったときは後回しにせずに、ばんばん触れていかないとなと思う。

文化に貢ごう。お金、も、時間、も、無理のない限り、ふんだんにつかおう。

 

で、その魅力的な文化を伝えていきたい。という欲望なのか何なのかわからない気持ちが、しこりみたいにゴロゴロしてる。あー!発狂。未来どうなるやら。

今年の目標に「ものを見る目を鍛える」を付け加えます。おやすみなさい。

ツイッターみたいな日記

久しぶりに文章を書いてみよう、と思ったらひどいものになってしまった。

メンヘラでは文章なんか書けない(どなたか作家さんが仰ってた言葉)。負の感情はあんまりエネルギーにならない。

読み返してみても、まったく整理できてなくて、もうめちゃくちゃだった。なにも終わってないからだと思う。終わることなんかないけど。

 

だから淡々と近況報告を書く。

オザケンがMステに出演していた。曲もよかったけど、それ以上に画面下に表示されている歌詞がよくって、文を書きたい欲が触発される。オザケンの歌詞について気になってツイッターで検索したら、「(オザケンの)歌唱力とかは割とどうでもよくて、歌詞カードのためにアルバムを買う人っていう印象だった」と、呟いている人がいてテンションが上がる。そうそう、だよね!と、当時のことは知らないけど勝手に共感。

写真家のレンハンが亡くなった。かっこいいものをつくるひとがいなくなると、心細くなる。

お茶の入れ方ひとつでも「方法」があって、きちんとできるようになりたいなと思う。この歳になって、大人ばかりの集まりは緊張する。もう自分は子ども枠じゃないなー、と実感するから。母や親戚のお姉さん方の動きをみて、「あっ、いまのはまずかったかな」と反省。子どもたちはひたすらに賢くておもろくてかわいい。

ぐだぐだ悩むヒマがあるなら、1ページでも多く文を読んだほうがいいし、書く練習をしたほうがいい。ほんとそれだけ。なんだけどな。

やたらと料理・食関係の書籍ばかり購入してしまう。エッセイ、マンガ、雑誌、なんでも。

やっぱり文を書きたい。言葉で伝えるってことがしたい。言葉を大切にしたい。舐めてはいけない。

韓国や台湾のアートブックが気になる。アートじゃなくてもいいけど。ZINEとかも含めて。

出版は斜陽産業だとか言われるけれど、私は紙が好き。自分でフリーペーパーをつくってからは、より魅力的に感じるようになった。所有癖があるから、文字や写真がモノとして存在していることがたまらん。モノとして存在することの「よさ」ってのは、ちゃんとあるんだと思う。各方面に配布させてもらって体感したことがいろいろある。

フランスではまだ紙の本を求める人たちが多くいると聞いた。紙の文化。そのへんも調べてみたいな。

自分の現状に対しての罪悪感が少しずつ減ってる。その代わりに「焦らずに踏ん張らないと」という意識を持とうとしている。

何もやってないことがいちばんマズい。でも焦ってもだめ。事実だと思うし、いま自分が目指すところはそこ。あと貪欲さ。

台湾は夜も楽しめるらしい。夜中にかき氷食べられるんだよ、って教えてもらった。夜遊びのカルチャーがあるみたい。じっとりと湿度の高い街の屋台で、マンゴーがたっぷりのったかき氷を食べたい。ほかにもいろんな味を頼んで、同行者と分け合いっこしたい。妄想が止まらない。

おやすみなさい。

詩人の料理本

作れる料理を増やしたい。

最近は母が仕事で家にいないことが多いので、料理をする機会が自然と増えた。今日はぶり大根を作った。盛り付けの仕方がわからず、いつも不器用度満点の見た目になってしまう。なんともズボラ料理です、いつも。母親譲り。

お皿を選ぶのはたのしい。お皿が立派だと、料理も立派なふりをしてくれるので助かる。

 

先日、本屋さんで見かけたこの書籍にふらふらと惹かれ、少し立ち読みしてみた。

 

茨木のり子の献立帖 (コロナ・ブックス 207)

茨木のり子の献立帖 (コロナ・ブックス 207)

 

詩人の茨木のり子さん、が、生前どのような料理をされていたのか、現存する資料(ご本人のメモ書きなど)からレシピが再現されている。

実際に「今日の晩御飯に作ろう!」とはならなそうだったのだけれど、よだれが出そうになる感じ。空気感にすごくハマる感じ。

茨木のり子さんの筆跡、すごくキュンとしてしまった。

って、お金なくて買えなかったんですけど。来月は必ず購入するぞ。

 

茨木のり子さんのある詩に胸打たれたことがあって。引用していいですか?ちんまい個人の日記なので、いいですよね。

汲む―Y・Yに―   茨木のり子

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

 

この人……わたしのことを言ってる! と思ってしまった。つい。

そういうふうに読んでいる人に一対一の関係だと思わせられるのが、詩人の仕事なのでしょうね。

この詩、どのパートも完ぺきに気持ちいいの、わかりますか。いま読んでもうるうるしてしまう… …

「あなたは弱いよ」と友人から言われたことを思い出す。弱ってるときに……笑。

そういう自分の精神を本当に憎んでいたんだけれど、「頼りない生牡蠣のような感受性」という言葉の連なりをみたとき、ちょっとだけ肯定できた気がして。

 

年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……

 

うわー!完ぺきだ。生涯で詩を朗読することがあったら、絶対この詩だ。そんな機会、ないでしょうけど……。

審査と自信

なぜか体調があまりよくない。微妙な寒気と、身体のむずがゆさ。昨日のプレゼンでなにかを使い果たしてしまったのかな。だとしたら、体力なさすぎる。もっとタフになりたい。

昨日のプレゼンが終わったあと、みんなと話したらだらっと力が抜けた。顔を見ると全員げっそりしていて、口を揃えて「お腹減った……」とつぶやき、すぐさまお昼ご飯へ直行。

みんな、プレゼンで失ったなにかを取り戻すようにめちゃくちゃ食べていて少しおもしろかった。私も同じく高カロリーなものを食べたくなったので、疲れていたんだと思う。二人がくれたチョコレートがすごく美味しく感じた。 

なんかもうあんまり記憶がないんだよなあ。

今日の夕方には受賞者が発表されてて、時の流れがよくわからなくなる。早い。

どうやら賞は取れなかったっぽい。まあ、仕方ない。受賞した人おめでとう。やっぱり、もらえるとうれしいよね。論文はやく読みたいなー。

ただ作家さんに受賞を見せられなかったのは、悲しい気持ちが少なからずある。

評価のされ方に最近惑わされてしまう。結局、これ、どうなんだろうとか。でもわたしが自信をもつしかない。じゃないと失礼だって思う、関わってくれた人たちに。

 お世話になってる先輩からメールをもらって少し元気をもらう。賞をもらえても、もらえなくても、という話。自分がどう向き合って、どう捉えているかがいちばん重要なんだよな。

少なくとも、この卒制がわたしのこれからの原点のひとつであることは間違いない。いまできることは全てつめこんでいるから、自信をもって広めていかなければ。

 

それにしても身体だるい。ずっと横になってる。

もっと家事手伝いたいし、お金も稼がないといけないし、やることいっぱいあるんだけどな。体力つけないと。